感想「漫画 君たちはどう生きるか」

おはようございます。ごめすです。

 

今年2冊目の読後まとめです。

昨年話題になって、積読状態だった1冊です。

 

書名:「漫画 君たちはどう生きるか

著者:吉野 源三郎(イラスト: 羽賀翔一

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以下、気になったところを拾っていきます。

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子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子供の知識を観察してみたまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。

電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へ行ったところにあって、八百屋さんは、その角を曲がったところにある。こんな風に、自分のうちを中心にして、いろいろなものがあるような考え方をしている。
それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になってくる。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろな物事や人を理解してゆくんだ。
しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごく大体のことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、物事を考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。
いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜けきっているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。
殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常に難しいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は、非常に偉い人にといっていい。
大概の人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合の良いことだけを見てゆこうとするものなんだ。


それにしても最後の鍵は、コペル君、やっぱり君なのだ。君自身のほかにはないのだ。君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することができるのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。
いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういうことについて、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。

 

肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。

たとえちゃんとした自尊心を持っている人でも、貧乏な暮らしをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは、免れがたい人情なんだ。だから、お互いに、そういう人々に余計な恥ずかしい思いをさせないように、平生、その慎みを忘れてはいけないのだ。

僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらない人間と考えたりしないように、また、たとえ豊かな暮らしをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければならない。

自分の受けている幸せが、めったにあることじゃないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気待ちになる。それで、「ありがたい」という言葉が、「感謝すべきことだ」という意味になり、「ありがとう」といえば、お礼の心持ちを表すことになったんだ。

 

ところで、君自身はどうだろう。君自身は何を作り出しているだろう。世の中からいろいろなものを受け取っているが、逆に世の中に何を与えているかしら。改めて考えるまでもなく、君は使う一方で、まだなんにも作り出してはいない。

だから、君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、今後、決して見落とさないようにしてゆきたまえ。

 

君はある大きなものを日々生み出している。それはなんだと思う?

 

戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置き所がなく、いま長年の宿敵の手に捕らえられて、その本国に連れて来られていながら、ナポレオンは、みじめな意気阻喪した姿をさらしはしなかったのだ。とらわれの身となっても王者の誇りを失わず、自分の招いた運命を。男らしく引き受けてしっかりと立っていたのだ。
そして、その気魄が、数万の人々のこころを打って、自然と頭を下げさせたのだ。
何という強い人格だろう。

君も大人になってゆくと、よい心掛けを持っていながら、弱いばかりにその心掛けを活かしきれないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知ってくるだろう。
世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。
人類の進歩と結びつかない英雄的精神も虚しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように虚しいことが多いのだ。
君も、いまに、きっと思い当たることがあるだろう。

 

本当はもうわかってるはずさ。コペル君はさっき後悔ばかり押し寄せるっていったよね。
でも君がしてしまったことをいくら思い返したって、ガッチンたちがどう思ってるかをいくら考えたって、それは君に変えられることじゃない。
だったら一度考えるのをやめてごらんよ。
変えられないことを考えるのをやめれば、余計な感情に足をとられない。
今自分がしなければならないことにまっすぐ向かっていける。
同じ間違いを二度と繰り返しちゃいけないよ。

 

だから、体の痛みは、誰だって御免被りたいものに相違ないけれど、この意味では、僕たちにとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。
それによって僕たちは、自分の体に故障の生じたことを知り、同時にまた、人間の体が、本来どういう状態にあるのが本当か、そのこともはっきりと知る。同じように、心に感じる苦しみや辛さは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。

人間が、こういう不幸を感じたり、こういう苦痛を覚えたりするということは、人間がもともと、憎しみあったり敵対しあったりすべきものではないからだ。
また元来、もって生まれた才能を自由に伸ばしてゆかなかてはウソだからだ。
およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるといあことは、人間が本来そんなみじめなものであってはならないからだ。
コペル君。僕たちは、自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲み出してこなければいけないんだよ。

僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。

 

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要は、

・自分中心の考えを抜けきれないままの大人が多い、コペルニクス的転回を考えを持てる大人すら少ない

・自分の心を動かされたこと、どんな時にどんなことで心が動いたかを考え、言葉にすること、自分で考えることが大事。

・変えられないことを悩んでもしょうがない。考えをやめて、今やるべきことに向かって一直線に進む。

・痛みがあるからこそ日常の幸せを感じられる。同じように不幸や悲しみは人同士が憎みあったり敵対すべきものではないと教えてくれる。もって生まれた才能や心に感じたことを自由に伸ばしていかなければならないのだ。

・だからこそ、僕らは自分で自分を決定する力をを持っている。だから誤りからも立ち直ることができる。

 

以上です。

 

今日はお休みなので、正月休みは残り3日。

体を動かして、伸びた髪をさっぱり切りに行って、もう少し心身ともに英気を養います。

 

ごめす